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皇室の秘密&新元号はいつから?

 2019/02/13 仕事の成功・改善 願望実現・目標達成   848 Views
皇居 二重橋 皇室

今年は新元号(しんげんごう)になります。江戸時代までは、改元は、なんと「運気」を改善することが目的で行われていました!これに便乗して、あなたも、さらに運気を上げる取組みの年にしてみてはいかがでしょうか。また、皇室の過去と現在のお金の秘密について、興味深い話があります。ご覧ください。

目  次

新元号はいつから?どのようにして決まるのか?

新元号(しんげんごう)の発表は4月1日です。そして、それが実際に施行されるのは5月1日からだそうです。今、95歳以上の方は、大正、昭和、平成とそして、次の4つの時代を生きることになりますね。

時代の呼び方が変わるということで、日常生活や人生が大きく変わるわけではありません。しかし、国家レベルで何かが変わる時を私達は末永く覚えているものです。そんな年を大事にして、実りあるおめでたい年にできるように生きていきましょう!

明治 大正 昭和 平成 ?

元号って必要なの? それとも不要?

戦後の一時期は不要論も度々起こっていたようです。

ある専門家は、日本がキリスト教国ではないことを理由に、西暦との併用を嫌う人もいます。必要論を強く唱える人は、時代に明確な区切りがあって、新しい時代が始まるという新鮮な気持ちになるから必要だといいます。

あなたは、この元号に対して、どのような考えをお持ちですか?

これをキッカケにして、あなた自身も新しい自分づくりを始めてみませんか?後半である提案があります。楽しみにしていてください。

改元されると日本の世の中は、細々とした変化を余儀なくされます。日付に関わるすべての公のシステム(例えば、身近なものでお店のレジシートや銀行の通帳明細など)が変更されます。実際にそのシステムの変更には、莫大な費用がかかるようです。

そして、新しい時代の幕開けに乗っかって、さまざまなビジネスがサービスを展開したり、チャンスが生まれたりします。

人間の意識は、変化を嫌う性質をもっていますが、それが良い方向へ変わるかもしれないという希望がもてれば、変化はあったほうが嬉しい気がしますね。

「平成」はどのように決められたのか?

では、30年前、現在の「平成」はどのようにして作られたのか、ご存知ですか? それは、下記のようなプロセスを経て決定したそうです。

改元は、秘密裏にスタート

「平成」への改げんでは、昭和天皇(87歳)がご高齢にて、すでに病に伏せられていたため、万が一の崩御(ほうぎょ)※に備えて、密かに新元号の案を用意しておかれたようです。

まずは、内閣総理大臣から要請を受けた学者たち、東洋史学者や古典中国文学者、日本史学者、国文学者などが選ばれました。

彼らは、極秘の打ち合わせや、新元号案が条件に合うかどうかなど、膨大な確認作業をし、徹底した秘密の保持という水面下での作業を進めました。そして、中国の古書「四書五経」などを引きながら、およそ100もの案を作成し、それぞれの案の意味や出典など、詳しい説明を添えて提出したそうです。

最終的な案として、下記の3つが候補に絞られました。

東洋史学者からは「平成」、儒学者からは「正化」、中国文学者からは「修文」だそうです。

そして、当時の竹下登首相や小渕恵三官房長官らとの間で「平成」が有力視されていた中で、翌1989年(昭和64年)1月7日朝、昭和天のうが崩御されました。

※崩御:天のう・皇后・こう太后・太皇太后が死ぬことの尊敬語

正式な手続きは「缶詰」状態で進行

その後、内閣は直ちに新元号決定への正式な手続きに入りました。徹底した情報漏えい防止のために、関係者らは缶詰め状態にされたようです。

専門家に改めて「正式」な案を委ねる手続きを行い、有識者の懇談会を開き、先の3案を提示。これと並行して衆参両院の議長にも意見を聞きました。

そして、絞った案を内閣官房長官を中心に、新しい時代にふさわしいかどうかを検討。その後、さらに有識者会議を開き、一つに絞るというプロセスをたどったようです。

その後、改めて衆参両議院の議長に意見を聞き、あらかじめ当時の皇太子様(明仁今上天のう)に報告されました。そして、政令(せいれい)を定める閣議を開いて、新元号が決定し、皇太子様が政令に署名されたあと、国民に発表ということになったということです。

改元、秘密裏に

このようにして、当時の内閣官房長官の小渕氏がTV会見で「平成」と書かれた色紙を掲げたシーンに至ったわけです。1989年1月8日が平成元年初日となりました

新元号6つの選定条件

この選定にあたっては、政府の公式文書で、6つの条件が示されています。

  1. 国民の理想としてふさわしいよい意味をもつこと
  2. 漢字2字
  3. 書きやすい
  4. 読みやすい
  5. これまでの元号やおくり名として用いられていないこと
  6. 俗用されていないこと

この6の“俗用されていない”ということを調べることが大変なようです。これは、「一般的に使わたり、固有名詞などとして使用されていない」という条件です。

日本、朝鮮半島、中国の村の名前から、さらに中華料理店や焼肉店、一般企業の名前まで調べて、同じものがないかどうかを確認するそうです。

『平成』が決定した今から30年前は、携帯電話はごく限られた人しか持っていませんでしたし、パソコンも個人が持つ時代ではありませんでした。また、昭和天皇が崩御されるまで、今回の改元ほど時間はありませんでしたから、同じものがないかどうかを調べることだけでも本当に大変だったのではないかと存じます。

「昭和」「平成」に込められた意味

ちなみに、「しょうわ」に込められた意味は、下記の通りです。

「昭」は世界を明るく照らす、「和」は国民の平和を示すものでした。

この時代の始めには、まだ、戦争という痛々しい体験が色濃く残っていました。今、それを知っているのは70代半ば以降の方となりました。

ちなみに「昭和」時代は、これまでの元号長寿ランキングで1位(62年と14日)です。2位が「明治」(44年7カ月)です。

そして、「平成」に込められた意味は、『国の内外にも天地にも平和が達成される』という意味が込められていたそうです。

歴史をふりかえると、元号改めには時代によってさまざまな意図が隠されていたようです。NHKの番組「知恵泉」では大変興味深い解説がありましたのでそれを含めてお話します。

その内容を次に綴ります。あなた自身の改げんの年につなげていただけましたら幸いです。

改元の目的は、開運!?

元号を使っているのは、日本だけ!?

この習わしは、紀げん前140年から中国ではじまりました。

日本では、7世紀の初め頃に中国の暦が入ってきたその後、645年「大化」の改新から使われるようになりました。

このときは孝徳天皇です。その狙いは“日本独自の元号を名乗ることで、中国、当時の『唐』の臣下ではないことをアピールするためだったと言われています。つまり、政治上の改革がきっかけがことの始まりで、その最初が「大化」だったのです。(645〜650)

大化 日本初めて

この習わしが導入されてから約1300年あまり、その後、東アジアにも広まりましたが、今では日本だけが使っています。日本では、「平成」が247回目の元号になります。一つあたりを平均すると約5年ほどになります。

247の元号

その目的は?

元号を新たにすることを「改元」と言います。明治時代よりそのルールが改正され、現在では、天皇の即位の時にのみ変えるという『代始(だいはじめ)かいげん』のみとなっています。これを『一世一元の制』(いっせいいちげんのせい)と呼ぶそうです。

しかし、過去には同じ天皇のもとでも以下のような目的で何度も変えられた事実があります。それは、主に下記の4つかいげんです。

  1. 良いきざしを機に改める⇒『祥瑞(しょうずい)』
  2. 地震や洪水など悪い出来事があった時、吉(きち)を呼び込むため⇒『災異(さいい)』
  3. 争いごとを鎮めるため ⇒『撥乱反正(はつらんはんせい)』
  4. 甲子(きのえね)と辛酉(かのととり)の年は変動が起こるという中国の故事にもとづき変更された ⇒『革年(かくねん)』

上記のいずれにも“より良い国を作りたい”“新たなスタートをきりたい”などの強い願いが込められていました。

これまでに、「天平感宝」という4文字のものもありました。また、2ヶ月あまりしかない最短の「暦仁」(1238年〜1239年)という時代もありました。

歴史をさかのぼれば、縁起を担ぎたがる天皇のオモシロイ改元や名武将によるてん下統一を目指すための改めが数々あるようです。そのいくつかを次にご紹介致しましょう。

天が示した吉兆をきっかけにした祥瑞(しょうずい)かいげん

祥瑞(しょうずい)とは中国の思想に基づいた言葉で、めでたい前ぶれ、吉兆をあらわすそうです。当時は、良い政治をしていれば、天からその印としてめでたい現象が現れると信じられていました。よって、その現象が起きるたびに新元号が定められていました。

おもしろい元号の数々とスッポン(亀)とのかかわり

奈良の正倉院には「青斑石鼈合子」(せいはんせきのべこし)という石で精密に作られたスッポンの像(下記写真)が貯蔵されています。その背中には北斗七星のような模様が刻まれているそうです。

奈良時代には、このような珍しい現象が起こったことがキッカケで、元号が改められたという事実があります。

この時代の基本史料である“続日本紀”(しょくにほんぎ)の中には、次のような記述があります。

「献上された珍しいカメには、北斗七星の模様がついていた」「これは天から授かった吉兆だと、てん皇はたいそう喜ばれ新元号を●霊亀(れいき)(715~717年)に改めた」とあります。

驚くことにカメが改げんのきっかけになったのは、これだけではありません。

その後、白いカメが献上された時には、●「神亀(じんき)」(727〜729年)とされました。

そして、時代は●天平(てんぴょう)となります。(729~749年)

これは、“てんのうは尊く、その知性は平和で百年は及ぶであろうという意味の「天王貴平知百年」という文字が、スッポンの甲羅に書かれていたから、それをきっかけに変えたと言われています。《 いったい誰のしわざか・・・。》

その後、再び白いかめが献上され、新元号は●宝亀(ほうき)(770~781年)に変わりました。

このように奈良時代には、4回も「かめ」をきっかけにした改元があったのです。鶴は千年、亀は万年といいますが、昔から喜ばれし存在だったのですね。

その他にも、次のような改元もあります。

日本が初めて通貨を導入した時にも!

和銅開示

慶雲4年(707)に秩父の山中から突然、大量の銅が発掘されました。驚いた地もとの人は、それを朝廷に献上しました。ちょうどその頃、元明(げんめい)天皇は、日本に通貨制度を導入するために、原料となる金属を探していたところでした。よって、このことを大いに喜ばれたのです。

その銅で作られたのが日本最初の貨幣「和同開珎」です。純度の高い銅という意味で●「和銅」(708~715年)とされたということです。

アンチエイジングの改元もあり!?

また、岐阜の養老の滝の近くにきっかけとなった泉があります。それは、元正(げんしょう)天皇(女性)の時代です。岐阜の養老の滝を訪れた際、その近隣の泉の水を飲んだら、その肌がスベスベになって若返ったそうです。それにたいそう感動し、「霊亀」から●「養老」(717~724年)に改められたそうです。

以上、いずれも、“天が示した吉兆をきっかけ”にして改められたということです。

名武将たちが野望を成し遂げる為に利用した改あの数々

かの昔、明治時代までは、それを決めるのはてんのうでした。しかし、それは表向きであることも多々あったようです。これまで歴史上の名武将たちは、天のうに上手く取り入り、改元をうまく利用してピンチを脱したり、己の力を確保したりしてきました。

小田信長や徳川家康は、それを利用して天下統一の野望を成し遂げてきた武将たちです。

元号は、これまで日本を動かしてきた人間たちが悪しきをリセットしようと、吉兆を期待してつけた結果の記録、とでもいえるのではないでしょうか。捉え方によっては、国を良くしようとしてさまざまな人間が時代の壁を乗り越えてきた知恵のかたまりともいえるでしょう。

人生最大のピンチ!織田信長がとった危機打開策とは!?

南蛮渡来(※1)の鉄砲を駆使して、戦国時代に破竹の勢いで勢力を広げ、頭一つ抜け出した武将、織田が人生最大のピンチに陥った時がありました。それは元亀(げんき)元年(1570)越前の朝倉義景との戦いの最中でした。

<※1:当時のポルトガル人やスペイン人がもたらした異国風の珍しい品物や文化を指す>

北近江の浅井とは同盟関係を結んでいたので、安心して背後の守りを任せていたところ、なんと浅井が突如、織田を裏切ったのです。その後、友好関係を結んでいた大名や宗教勢力者たちが、立て続けに信長へ反旗をひるがえしてきました。

そして、信長は敵対勢力に囲まれ、四面楚歌となったのです。この時、彼は意外な方法で危機を脱しました。その方法とは!?

織田信長のピンチ

日増しに反織田勢力の圧力が高まる元亀3年、彼はある人に手紙をしたためます。「この年号は不吉です」「一刻も早く改めることが天下のためです」と。送り先は、室町幕府と強いコネクションを持っていた15代将軍の足利義昭でした。信長はある企みに、義昭を利用しようとしたのです。

なぜ、織田は元号に強くこだわったのか?

戦国史を研究する小和田哲男(静岡大学 名誉教授)氏は、『当時の人は、何か悪いことがあれば、すぐに改元するというようなルールがありました。』と言います。つまり、一種の世直しのために行っていたというのです。

先にも解説しましたが、古くから日本では、自然災害や疫病が起こると、その悪い流れを断ち切る為に、何度もげんごうを変えて国の体制を保ってきました。これを“災異かいげん”と呼びます。信長はそれを逆手にとって、自身の状況をくつがえすために、足利義昭に手紙を書き、かいげんを計ろうとしたのです。

この時、絶対絶命の信長は、この計画に自身の命運をかけたのです。しかし、義昭は、再々の要請にもかかわらず、一向に動きを見せませんでした。とうとうしびれを切らした織田は、自ら朝廷に出向き、それを申し入れました。それが元亀4年(7月21日)のことでした。

中国では、君主が悪い政治をしていると、注意を促すために天が災いを起こすと考えられていました。そこで、信長は災いが起こる前に、げんごうを改めるという手を打つ必要があると、てん皇と公家たちに口添えをしにいったのです。

この時代はてんのうが許可をしないと改げんはできませんでした。朝廷に改元の申し入れができたということは、その頃から絶大なる権力を持っていたということがわかります。

その申し入れに圧倒された公家たちは、なんと1週間という異例のスピードで新元号をあらためました。そして。新しく「天正(てんしょう)」となりました。

これは信長が中国の古典、老子の「清静者為天下正」“心清らかで冷静な者がてん下を取る”という一文から選んだと言われています。

先の小和田氏いわく「世界が正しくなる。世の中の平和といったものを含めた意味があると彼自身は思っていたようです」ということでした。

そして、事実、天正の時代になり世の中の風向きは変わっていったのです。

新元号に変わったこの一件で、てん皇は信長の味方についたという認識が広まっていきました。いわば官軍(朝廷方の軍隊)の織田と見られ、反勢力に大いなるプレッシャーを与えたのです。

彼はかつての勢いを取り戻しました。そして、天正元年、宿敵の浅井、朝倉を続けざまに倒し、さらに武田に大勝利したのです。

このようにして、自分を追い詰めた敵対勢力を次々と下し、てん下統一の道を再び歩み始めたのです。

織田信長 天正

家康が天皇をコントロールする為!?にとった改革は

慶長5年(1600年)9月15日天下分け目の関ヶ原の戦い(東:徳川VS西:石田)が起こりました。

ここで勝利を収め、信長、秀吉が手にした戦国乱世の覇権を最終的に握ったのは、徳川家康でした。

その後、江戸に幕府を開いた家康は、諸大名に城の破棄を命じた一国一城令やその行動を統制した武家諸法度など、様々な政策を進め幕藩体制の基盤を整えていきました。

そんな試みの一つが朝廷の改革でした。

もはや国内に敵なしの幕府だったのですが、未だ権威を保つ朝廷だけは無視できない存在だったのです。

それをいかにコントロールするか? 家康は知恵を絞りある奇策を労します。

徳川家康 改元

家康が講じた策とは、次のようなものです。

時は、慶長20年(1615年)「元和(げんな)」にかわりました。

表向きの理由は、4年前に即位した後水尾(ごみずのお)天皇の“代始かいげん”でした。しかし、実際は、この年に豊臣家を滅亡させた幕府が新しい時代の到来を示すものだったと言われています。

先の小和田氏は、この「元和」は家康が選んだもので、平和元年を意味するものであり、これからは平和が続きますよ。天下安寧ですよ。といったことを内外に示すものだったと解釈できると言います。

これまでにも、信長がかいげんに介入したことがありましたが、家康はさらにその上をいきました。それは「禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと)」というてん皇、及び公家に対する法を定めたのです。

法令化することの狙いがどのようなメリットがあるかというと、それは次のようなことでした。

年号改めを天のうから幕府が奪ったわけではないですよ。と言いながら、そこにひとこと(新元号について)口をはさませていただきます。だから、朝廷や公家の自由にはさせません、という意味合いが込められていたものだったということです。それを明文化しておくことが狙いであったということです。(小和田氏談)

つまり、家康は、今後幕府は「改元」について関わることを明文化し法制化したのです。それによって、朝廷への干渉を強めていこうとしたのです。その目的は、徳川家の支配を末永く続けていくことだったのです。これが家康の奇策、知恵でした。

実際に、「禁中並公家諸法度」の第8条には、天皇や公家を細く規定したことが定められているほか、次のようなことも記されているそうです。

「改げんは中国の元号から良いものを選ぶべきである」

「ただし、今後担当者が経験を重んじて慣れていったら、日本の先例に沿って決めても良い」と。

その後、江戸時代は幕府が「かいげん」の指導権を握ることで、安定した支配を築き、世界でも稀にみる永きにわたる太平の世(265年間)を続かせたのです。家康の目論見通りになったということですね。

改元を手放すことで迎えた徳川家の終わり

しかし、そんな江戸幕府に終わりの時がやってきます。くしくもその陰にはかいげんの陰が見え隠れしていました。

幕末、嘉永6年(1853)に黒船が来航します。

開国を迫ったアメリカに対し、幕府は何の手立ても打つことができませんでした。それをめぐって国は二分し、政情は悪化の一途を辿っていきました。

対応に窮した14代将軍、徳川家茂(いえもち)が、この時にすがったのが朝廷でした。次のものを決めるに当たって、家茂は孝明天皇に対して次のような手紙を送ったのです。

「元号はどれであっても構いません。よろしくお選びください。」

家茂は、悪い流れを断ち切る災異かいげんを行うことで、危機を打開しようとし、それをてんのうに一任したのです。

当時の天皇が新たに決めた元号は、「慶応」でした。

その意味するところは、『今まさに慶(めでたい)雲の輝く時がやってきた』というもの。

改げんの権限を再び手にした朝廷(天皇側)。その新しい元号には、慶びが込められていたということでしょうか。

慶応

そして、わずか2年後の 慶応3年(1867)には、大政奉還によって、幕府は政権を朝廷に返上しました。

これで、改元を牛耳ることで始まった徳川幕府は、その権限を自ら手放すことによって終わりを迎えたのです。

これ以降、明治時代より代始改元となりました。

皇室のお金の秘密

天皇は操り人形!?

江戸幕末の動乱期、幕府は政権を朝廷に返したとはいえ、孝明てんのうは、やはり政治的な実権はなく、幕府と薩長勢力のはざまで、翻弄された生涯だったということです。

孝明てん皇亡き後、16歳で即位したのが明治てんのうでした。この時代も、これまで通り実質、政治の実権を握ることはありませんでした。

「天皇家の経済学」著者、吉田祐二氏によれば、その著書の中で次のように述べています。

明治維新は東洋におけるイギリスの勢力拡張の一断面であり、イギリス側に加担した薩長を中心とした中級武士たちが明治期の権力を掌握した。その後、長く生きながらえた者たちは元老(げんろう)と呼ばれ、彼らは旧幕臣勢力、および庶民を抑えつけるために陛下の権力を掌握した。

実際に、当時の政治の支配層たち、伊藤博文や山縣有朋、松方正義らのげんろう達が自分たちの権力を維持する為、そして、国民をコントロールする為に、てんのうに財力をつけさせ権威付けをして表に押し出していきました。

つまり、彼らは陛下のためと言いながら、自分たちの支配力を維持していくために財力をつけさせていきました。しかし、これがのちに自分たちの足をすくうことにつながるのですが、明治初頭、てんのうは操り人形だったというわけです。

穴から見上げる空

皇室に蓄財させた伊藤博文ら、元老たちの誤算

ところが、その天のうの権威付けシステムを稼働し続けた結果、元老がいなくなる時点で、彼らを凌駕するほどの権力が陛下に備わっていたということです。

では、どのようにして権力が移行していったのでしょうか。

明治17年に帝国議会設置が決まり、日本国憲法発布までの同23年までの間に皇室の財産は着々と形成されていったのです。

ごくごく簡単にまとめると、大日本帝国憲法と同時に発布された天のう家のための法律である『皇室典範』では、次のようなことが決められていたのです。

「天のう家の会計は独自の法律によるもの。国の会計から毎年一定の金額を受け取るが、宮内省がそれを管理して予算から決算に至るまで、政府は関与しない。」

つまり、当時は使い方は全く皇室&宮内省の自由だったわけです。

徳川の時代からも一定の収入は得ていましたが、維新後から元老たちの策によって徐々にその金額が増えていきました。天のうはそれを蓄財し、積極的に投資(株式取得)をしていった結果、大正初期におけるその財産は、日本銀行、横浜正金銀行、日本郵船など、日本の当時の名だたる企業17種55万6940株、金額にして、3594万3930円もあったということです。

これがどの位のものであったのか?

黒田久太の『天皇家の財産』によれば、時期は少しずれますが、昭和の終戦時における所有株は、およそ9000万。その他、現金および有価証券類の総額が3億3615万円、土地等の財産を含めた皇室の財産の合計は、当時の大財閥であった三井や三菱、住友などの5~7倍に達するほどの規模であったといいます。

これは、世界の王室、イギリスやドイツ、ベルギーなどと比較しても見劣りするものではなかったということです。

昭和天皇は世界の王室と肩を並べられるほどの大金持ちだった

天のう家はこの時点では、莫大な財産を保有し、日本一の大地主、日本一の大金持ちだったのです。

1945年の終戦までの30年間で、資産は約2,5倍に増えていることがわかっています。年平均すると3%の割合で増えていたということです。これを現在のGDP(国内総生産)500兆円で換算すると、65兆円から100兆円ということになるらしいのです。

ちなみに2015年のフォーブス世界長者番付の1位はマイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏で9.5兆円。日本ではユニクロ(ファーストリテイリング)の柳井氏が同年世界41位で総資産2.4兆円。ソフトバンクの孫氏は75位で1.6兆円でありました。

てんのう家と宮内省は単純に政府からの支出額をもとに投資を行って財産形成をしていたわけですが、調べによると物静かな投資家ではなく積極的に投資先について注文を付ける積極的な投資家であったと先の吉田氏は述べています。

そして、皇室の財産は天のう個人のものではなく、財団と同様、「法人」として個人を超えて永続していたのです。ですから、代は変わっても、その財産は増え続け、大財閥をも寄せ付けない程に、巨大な財をなしていきました。それが昭和てんのうが実質的な政治権力を握ることになっていったということですね。

吉田氏は、日本の対外侵略(朝鮮・中国等)とは天皇を一財閥とすれば、それによる対外経営戦略であったとしています。そして、敗戦によってこの財閥は破局的な終わり方をしたということです。

これらの財産は、昭和21年の終戦後GHQによって、全て没収され政府に組み入れられたということです。そして、今でも某銀行の地下の大きな金庫に眠っているものもあるようです。

これは、天のう家は大きな財産を失ったように思えはしますが、皇室は「法人」同様の位置づけにあったために、これだけの処分で戦争の責任をまぬかれたということになります。

お堀と桜

現在の皇室のプライベートマネーは?

現在の予算は、もちろん私たちの税金で賄われていますが、大きく3種類に分かれているということです。それは、以下の通りです。

内廷費(平成27年度3億2,400万円)

宮廷費(平成27年度55億6,300万円)

皇族費(平成27年度2億3,000万円)

合わせて約60億円。

その他、宮内庁費が108億円、皇室警察本部予算が72億円、合計240億円が関連予算となっています。

また、現在、宮内庁の人員は約1000人だそうです。が、宮内省と呼ばれていた時には、6000人もの人員が関わっていました。ですから、本当に大企業のようだったのですね。

皇室ジャーナリストの稲生雅亮氏の『そこが知りたい!皇室探検』(新森書房)によれば、上記の予算の内、天のうのプライベートマネーは内廷費に含まれるそうです。その金額は約1億円程度ということです。

このお金は節約して余った分は次年度へ持ち越しができることになっているそうです。たてまえ上は、何に使っても自由な!?お金であり、非課税だそうです。

皇太子はその3分の1、約3000万円程度が自由に使えるらしいということです。しかし、実際はそうでないようです。その内の約3割は人件費で占められているということですが、何の人件費かというと、私的行事に関わる人件費のようです。

少し前に、秋篠宮親王が記者会見で意見されていたのを覚えていらっしゃいますか。

皇室が行う「宮中祭祀(きゅうちゅうさいし)」は私的行為に当たり、家庭行事という位置づけになるそうです。その行事には、新嘗祭(にいなめさい)や神嘗祭(かんなめさい)などがあります。先日話題になったのは、「大嘗祭(だいしょうさい)※」のことでした。それに約20億円もの費用を使うのはいかがなものか、と宮内庁長官に提言したそうですが聞く耳を持ってもらえなかったと話されていました。

どうやら、徳仁親王(現第一こう太子)のこれまでの会見等からも推察すると、宮内庁と皇室の皆様の意思の疎通が取れていないことがよくあることが伺えますね。

※大嘗祭:新のうの即位後に行われる祭祀

皇室の財宝はいずこへ

お金にまつわる話はこれだけでは終わりません。終戦直前に、当時の昭和てんのうの皇后寄付という名目で、約33億円ものお金がスイスの赤十字に送金されたという話があります。これは隠し資産ではないかという推測もできると吉田氏はいいます。

また、もう一つは、さらに有名なのが「M資金」と呼ばれる財宝のことです。それは、戦後の混乱期に紛失したとされる、純金やダイアモンドなどを指しています。これは、ジャーナリストの立石勝規氏の著書『金融腐敗の原点』のよれば、旧日本軍の隠匿物資の一部であるとされており、没収したGHQの経済科学局長のマーカット少将の頭文字をとって「M」と名付けられたそうです。

この財宝は、日本を破たんさせないで、戦費をまかない続けるための唯一の方法として、中国、東南アジアやマレー諸島全域で、旧日本軍が略奪、強奪したものであり、その額は1000億ドルにも上るといいます。

それに関しては、諸説あるようですが、当時は某大銀行の地下の大金庫に保管されたということです。

また、旧日本軍による海外での略奪行為を描いた歴史家のスターリング・シーグレーヴ氏は『ヤマト王朝』という本の中で、それらの極秘作戦は、天皇に近い皇族たちによるもので、暗号名が「ゴールデン・リリー」と呼ばれていたといいます。

現代から、ずいぶんかけ離れた話のように感じます。余談ですが、実際にこの時代には、旧日本軍は、日本人のスパイ養成も行っていました。例えば、天井裏で、何日間も飲まず食わずで過ごすなどの訓練もあったようです。

金塊 延べ棒

本当にあった秘密の財産が見つかった話

このような隠された財宝が実際に近年見つかった例があります。これは、皇室の話とは異なりますが、それは平成26年(2014年)の8月のことです。

ポーランドでナチスドイツの金塊を満載した軍用列車が70年ぶりに発見されたというニュースがあったのをご存知ですか。

これは、1945年第二次世界大戦終結間際に、ナチスドイツが保有していた金塊(現在の価値で約2億ドル分)が見つかったという実際にあった話です。この行方不明となっていた軍用列車は廃墟となっていたトンネル内から見つかったという報道されていました。

これを見つけたのは、トレジャーハンター2名で、資産価値の10%を報奨金として求めているということでした。彼らは財宝が隠されているという噂を頼りに、探し続けていたということです。その後もらえたのかどうか、そこまでのニュースはありませんが。

「平成」の改元を企業の繁栄の祈りに

話しは、昭和63年9月にもどります。

この月の19日昭和天皇が体調を崩され日本中が自粛ムードに包まれました。多くの催し物から「祝」という文字がなくなり、運動会や祭りなどが取り止めになるところもありました。

居酒屋では、客席の回転が鈍り売上げは約2割減り、おめでたい赤い魚が売れなくなったということです。

翌1989年しょうわ64年元旦。初詣客は5%減の7500万人だったそうです。

その後、てん皇が崩御され、「昭和」という激動の時代は終わりを迎えました。

そして、翌日の1月7日。この日、新しい年号が発表されました。それが「平成」です。

これは、『国の内外にも天地にも平和が達成される』という意味が込められているそうです。

平成元年(1989年)1月8日には、日本に活気が戻りました。それからすぐに全国600社以上が企業名に「平成」を取り入れたのだそうです。

新しい時代を祝うのと同時に、商売繁栄の祈りも込めてつけたのではないでしょうか。

さらに同じ年の11月9日東西ドイツを隔てていたベルリンの壁が崩壊に至りました。

このように改元は、これまでの歴史上の大きな分岐点でありました。かつ、天皇制がある限り、今後もこのような分岐点は起こります。ただ、滅多にあることではありません。

あれから30年、時代はまた大きく変わってきました。そして、変わろうとしています。天のうは崩御されなくても変われる時代になってきたのです。

それは、日本にとって大きな変化ですね。

「改元」を開運の年にする

神社 鳥居 緑 空

チャンスは自分でつくる

さて、話は少し戻りますが、報道されている皇族の皆様の生活は、少し窮屈そうな感じがします。それに比べると、あなたの人生はもっと自由ではないでしょうか。

それは、本当に幸せなことでもあります。

そこで、新しい年号に変わることをきっかけにして、あなたの人生もここで少し見直しをしてみたらいかがでしょうか。

人生をより良い流れに変えていくためのチャレンジです。

すでにもろもろうまくいっていると思っている人も、後述のフローチェックリストで、チェックしてみて下さい。

あなたが生まれ変わる大チャンスを作ってみるのです。

あなたがしたいこと、できていますか?

あなたにできること、あなたがしたいこと、それはなんでしょうか。

人は、自分が好きなことは率先してやります。それが自分のやりがいのあることにつながっていると尚さらですね。

私達は、何かしら自分のできることで、できれば好きなことで、人の役に立つことをする為に生まれてきたのではないかと考えます。

もし、あなたが自分は「この程度でいいかも」とか、「したいけれど、私にはできない」と決めている自分がいたとしたら、それは本当のあなたの人生を生きていない可能性が高いかもしれません。

簡単にあきらめないで、もっと求めてください。あなたが本気にさえなれば、もっと力は出せます。その力が備わっていますから。

毎日が充実していますか?

充実 花

人生には、波があります。いい時も悪い時もあります。充実している時もあれば休みが必要な時もあるでしょう。でも、あなたが今、その人生に楽しみや希望、ワクワク感や何かしらのおもしろさを感じていないとしたら、それは何故なのか、考えてみる時間が必要です。

人は自分で何かしら目的を見つけて、それに向かって進もうとしている時に、充実を感じます。才能やお金があってもなくても、環境に恵まれていてもいなくても、結局は、自分がこれで良し!と決めて進んでいる時に、幸せを感じます。

もし、そうでなければ、それに近づけていくためにも、次のことを考えてみてはいかがでしょうか。

人生を充実させる3つのING

生きがいややりがい、充実感など、それらを求めていくにあたって、自分の中ではっきりさせなければならないことがあります。それは、次の3つのことです。

Being(どうありたいか)
Doing(したいこと)
Having(欲しいこと・もの)

あなたがこれらをはっきりと認識して求めていこうと行動することで、人生の流れが変わっていきます。

大切なのは、まずはBeing…あなたはどうありたいのか?ということ。
それを達成する過程で、Doing…したいことやHaving…欲しいものは何かを考えてみます。

Being Doing Having

さぁ、あなたのBeingありたい姿は、どういう状態ですか? 仕事は、プライベートは? その他は?

その中に、「幸せ」や「喜び」など、あなたが価値を感じる大切な要素が入っているはずです。 それを考えてみて下さい。

Beingありたい状態を知るヒント

あなたが日頃、感動していること、楽しい、嬉しい、達成感や安心感、ヤッター!などの感情を感じる時を思い出してみることです。

それは、どんな時ですか。子供の頃から最近までを振り返って思い出してみて下さい。

例えば、美しいものを見たり触れたりした時でしょうか。それとも、大変ユニークなものやそのような存在に出会った時でしょうか。カッコいい生き方に触れたりカッコいいものを見つけた時でしょうか。

美しい、カッコいい、ユニークな、楽しい、頼もしいなど、あなたがワクワクを感じることを単語で書き出してみてください。すると、大まかに形容詞で現せることが多くはありませんか。

きっとその中に、あなたの「ありたい」状態があるはずです。

例えば、カッコいい、ユニークなこと、に心惹かれるとしたら、あなたはそういう風に見られる格好をしたり、そういうものを持っていたい、或いはそういう生き方をしたいと感じていないか、自分を客観的に観察してみてください。

それがわかれば、あなたのプライベートや仕事をその「ありたい」状態に近づけてみましょう。

そうすれば、「ありたい」状態が具体化していきます。

本当のあなたは知っている

日々の忙しさに忙殺されていると、すぐには分からないかもしれません。しかし、あなたの心はそれがわかっています。それを知るには、心のリラックスが必要です。

例えば、静かな場所で椅子に座り目を閉じてみます。いっときの間、自分の呼吸に意識を集中します。すると、次第に心が落ち着いて、からだが温かくなるのがわかります。それがここでいう心と体のリラックスです。

この状態の時には、脳からアルファ波※が出ていることが多く、あなたの深い意識、潜在意識につながりやすくなっています。潜在意識は、あなたの本心を知っています。

あなたが本当に求めていることは何か、あなたのやりたいこと、好きなことは何か? あなたはどうありたいのか?をこのリラックスを利用して、自分に問いかけてみてください。

あなたが「ありたい」状態をはっきりさせて、それを求める行動を起し始めたなら、事態はおのずと変わっていきます。人生を楽しみながら、その方向に向かって進んで行くことが、フローにのって生きることにつながっていきます。

※アルファ波:脳がリラックスしているときに出る脳波

波乗り ガール

フローに乗って生きるとは?

人生の流れに乗った状態のことを指します。

確かな満足感と生活に楽しさを与えるバイオリズム(生命を営む為の規則的な働き) を超えた新しい概念でもあります。 ポジティブシンキングやプラス思考もこのフロー理論から生まれたそうです。

流れに乗っている時には、幸せな偶然、セレンディピティをよく引き寄せます。

偶然は必然であり、それが何度も起こるのは進んでいる道が間違っていないことの証だといわれます。

フローに生きている時、 下記のような感覚を抱きます。

  • 私(達)は適切な場所で、
  • 適切な時に、
  • 適切なことをしている

フロー状態とは、人生の流れに乗っているときのこと。
しっかりと、その場に根付き、それをする役割や使命を無意識に感じています。ものごとがスムースに流れていると感じる場合もあります。ただ「楽(らく)」だという感覚とは少し違います。

心には希望があり、平静な気持ちでもあり、大丈夫、間違っていない、という感覚があります。

自分自身を超えた偉大な何かに導かれているという感覚をもつ人もいます。

もちろん、人生には運命や運勢が影響すると考える人もいらっしゃるでしょう。

しかし、運が悪いと感じるときにも、あなたの行動次第で、流れにのる状態に近づけていくこともできることを知ってください。

あなたの思いが人生の流れを変えていくことができることを。

フローチェックリストで、あなたの状態をチェック!

では、今のあなたは流れに乗っているでしょうか。それを確認するために、簡単なチェックをしてみましょう。

下記の質問に、①はい、②どちらでもない、③いいえ の3つの内から答えてみてください。

【チェックリスト】

  1. やりたくないことに多くの時間を割いている。
  2. 決まりきったやり方にこり固まっている気がする。
  3. 身体の活力が低下していると感じる。
  4. 上手くやろうとしすぎているきらいがある。
  5. 人生に退屈している気がする。
  6. なかなか物事が上手く運ばないのでイライラしがち。
  7. いつも自分のことばかりを考えすぎている。
  8. 個人的な危機を体験しつつある気がする。
  9. 自分の人生に欠けているものをうらんでいる。
  10. 自分を卑下している。見下している。
  11. そばにいてほしいと思っている人がいないので腹立たしい気持ちを抱えている気がする。
  12. すべきことで避けようとしていることがある。
  13. 幸運な出来事を忘れている。
  14. 多くをもとめすぎているかもしれない。
  15. 人生に行き詰まっている感じがする。
  16. シンクロニシティ(偶然の一致、ナイスタイミング!)は、ほとんど起こらない。

点数は、以下で計算してください。

  • はい⇒1点 ・どちらでもない(わからない)⇒2点 ・いいえ⇒3点

あなたの合計は、何点でしたか?

点数が低いほど、フロー状態から離れていることになります。

人生の流れにのるためにできること。

私達の人生には、しなければならないことは多々あります。好きなことだけをして生きていくことは難しい、、、と考えます。
仕事にしても、プライベートにしても。

でも、あなたが何かをするときの目的を考えてみてください。

私は、何のために今の仕事をし、ここにいるのか。
何の為に、誰の為にしているのか。

きっと、それを再認識するだけでも、明日からの行動が活力を取り戻すかもしれません。

あなたが価値ある目的に進んでいる時、また、価値ある役割を果たしていると感じているときには、”しなければいけないこと”は、苦痛ではなくなります。それはあなたが進む方向、流れを阻害しません。

新元号を開運のキッカケにする

是非、改元をきっかけに、あなたの「どうありたいかBeing」を明確にしてみてください。そして、それに向かって行動を起こしてください。

人生は誰かが変えてはくれません。自分で変えていくしかないのです。そのキッカケが目前にあります。

“天が示した吉兆のきっかけ”改元をあなたの人生を改めて考えてみるチャンスとしてみてください。

あなたの潜在意識はあなたの人生を変える手助けをします。その参考記事として、下記をご参照ください。

★潜在意識にアクセスする瞑想の3つのコツは?
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また、潜在意識の活用の仕方を知りたい方は、下記の無料メールセミナーをご参考ください。

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まとめ

不思議 花 輪 皇室

新元号の発表は4月1日です。そして、それが実際に施行されるのは5月1日からだそうです。

戦後の一時期は不要論も度々起こっていたようです。しかし、新しい時代が始まるという新鮮な気持ちになることからか、最近、不要論はあまり聞かれません。

日本では、645年「大化」の改新から始まりました。それは、当時の中国「唐」の臣下にされない為に使われ始めたということです。「平成」は、247番目にあたります。

その元号を新たにすることを「改げん」と言います。

現在では、天皇の即位時にのみ変えるという『代始(だいはじめ)かいげん』のみとなり『一世一元の制』となっています。

◆改げんの目的

江戸時代までは、表向き「元号」を決める権力はてん皇にありました。そして、同じ天のうのもとで、以下のような目的で何度も変えてきたという事実があります。その主なものは、下記の4つです。

  1. 良いきざしを機に改める
  2. 地震や洪水など悪い出来事があった時、吉(きち)を呼び込むため
  3. 争いごとを鎮めるため
  4. 甲子(きのえね)と辛酉(かのととり)の年は変動が起こるという中国の故事にもとづき変更された

上記のいずれにも“より良い国を作りたい”“新たなスタートをきりたい”などの強い願いが込められていたことがわかります。

歴史をさかのぼれば、縁起を担いだ「亀」にまつわるオモシロ改元の数々、名武将の天下統一を目指すための改めがありました。

後者に関しては、例えば、小田信長は自身の政治的勢い回復のために、また、家康は、徳川家を末永く繁栄させるために、天のうと公家に対する法を制定しました。いずれも公家を含むてんのう達を上手くコントロールしてなされたことです。

◆皇室のお金の秘密

皇室のお金が積極的に増え始めたのは、明治の時代からです。この時代、表向きの政治の権力は陛下にありました。しかし、実質は元老たちが政治の実権を握っていました。ですが、彼らは国民をコントロールする為に、皇室に与える財力を増やしていったのです。

てんのう家にこう族、宮内省は、いわば現在で言う「法人」、ひとつの会社のようなものです。与えられた財力は、代がかわっても持ち続けることができました。また、昭和天のうは自ら、その財を活かして積極的な投資(株・有価証券・土地など)をしていたのです。それによって、元老たちが衰える頃には、世界の王室に引けをとらないほどの大金持ちになりました。それが実質的な権力を握ることになったのです。

しかし、1945年終戦後、その財産はすべてGHQ(連合国軍最高司令官総司令部・進駐軍)によって、没収されたということです。その後、天のうは国の象徴としての存在となり、政治の実権は政治家へ引き継がれました。

現在も皇族や宮内庁の自由になるお金がないわけではありません。詳細は下記をご覧ください。

宮内庁HP「皇室の経済」http://www.kunaicho.go.jp/about/seido/seido08.html

◆「改げん」をあなたの開運の年にする

新元号に変わることを機に、あなたの人生をさらに充実させ、流れに乗った生き方へ変えていきませんか、という提案です。

まずは、フローチェックリストで現状のあなたをチェックしてみます。そして、あなた自身がBeing(どうありたいか) Doing(したいこと)は何か、Having(欲しいこと・もの)を明確にしてみてください。

それらに焦点を合わせていくことで、フローに乗った生き方へとつながっていきます。それは色々な意味での開運へと向かっていく入口です。

“天が示した吉兆のきっかけ”である改げんをあなたの人生にも呼び込むチャンスとしてみてください。

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林 幹雄

林 幹雄

■潜在能力開発法:シルバメソッド・ジャパン代表
■シルバメソッド国際公認講師(講師歴29年)  ■経営コンサルタント
33年前にシルバメソッド・セミナー受講。研究開発、事業企画でアイデア発想、難題解決や目標達成にテクニック活用し、自信を培い。20年勤務した会社から離れ、脱サラ経営コンサルタントの道へ。ここでもテクニック活用、目標達成、様々な課題を解決してきました。今日の自分があるのもシルバメソッドのお陰。多くの方に伝えることに邁進しています。<詳しくは、下記のボタンをクリック>

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